きみは知ってる? 世界文化遺産登録を目指す佐渡の金銀山がどれだけすごいかってこと!
深い歴史と豊富な技術をニックくんたちと学んでみよう!
大昔、佐渡島は激しい地殻変動と火山活動によって誕生したんだ。地中深くから溶け出した金が地下水に含まれて上昇し、岩石の隙間を埋めるようにたまっていったんだ。それで、しま模様みたいな金銀の鉱脈ができたんだって!
金銀の鉱脈
佐渡最古の砂金山がある西三川では、戦国時代から江戸時代に山を崩し、大量の水で土砂を洗い流す「大流し」をしてたくさんの砂金を集めたんだ。その時の水路は総延長約60kmにもなるんだって!ちなみに800年以上前の平安時代末期に書かれた「今昔物語集」に、佐渡で金がとれたっていう話が載っているよ。
1603年、徳川家康は佐渡代官に石見銀山※を治めていた大久保長安を任命。石見銀山の技術や経営方法を佐渡金銀山にとり入れ、町は発展!当時様々な努力があって、佐渡では江戸時代を通して、多くの金が取れたんだ!
相川の「佐渡奉行所」
※現在の島根県に所在
鉱石から金銀を取り出す技術はどんどん進化していったんだ。基本的な工程を簡単に紹介するよ。
鉱石を細かく砕き鉛と熱し金銀との合金をつくる
灰の上で熱し、鉛だけ灰にしみ込ませ金銀を取り出す
金銀を塩と混ぜて加熱し
純度の高い金を取り出す
そこから金と銀を分離して金の純度を高めるために、硫黄を使う「金銀吹分法」や海の塩を使う「焼金法」っていう方法も導入されてみたいだよ。
16世紀にメキシコで開発された「水銀アマルガム法」も江戸時代の初めには佐渡に導入されたよ。灰吹法よりも効率が良かったらしいけど、水銀の売買が自由にならなくなったから、この方法はだんだん使えなくなったんだって。
製造された小判は船で現在の出雲崎町に運ばれ、北国街道と中山道を通って江戸に運んだんだって。
延べ板状にした金を
小判1枚分に切り分ける
たたいて成形し、
ござ目(模様)を付ける
表面に薬品を塗り、
熱を加える
金を掘り出して小判を造るまで、昔からいろんな技術があったんだね。それがどんなふうに進歩したか、一つの地域だけで分かるのって、世界的にも珍しいんだって。だから佐渡島の金山は世界遺産の価値があるんだね!