山の神の心を「やわらげ」て、金銀を含んだ硬い鉱石が「やわらかくなる(掘りやすくなる)」ことを祈る金掘りたちの唄。豊かな金銀鉱脈の発見を願う祝歌なんだ。「蓬來(ほうらい)」ともいわれていたよ。
わらのむしろで作った衣装にはムカデの絵が描いてあるよ。ムカデは、古くから金運を招くものとされていたことと、その姿が金鉱脈に似ていたことから、山師にとって神様の使いのような存在だったと言われているんだ!
酸化鉄を多量に含んだ赤土「無名異土」を使った焼物。無名異土は佐渡金銀山の坑内でも見られるよ。製造工程での生磨きや、焼成後の砂研磨という特殊な作業が特徴なんだ!
一説では、九州の「ハイヤ節」という酒盛り唄が北前船で小木港に伝わったのが起源とされている。その後、相川で働く鉱夫達に広まり、選鉱場で鉱石を選り分ける時に唄われるようになり、佐渡おけさが生まれたんだ。
相川音頭は、毎年6月上旬に開催される「宵の舞」で見ることができるよ!
恋愛ものや時事ネタなど様々な歌詞で唄われてきたけれど、江戸時代には佐渡奉行の前で勇ましい「源平軍談」ものが唄われるように。御前踊ともいわれるようになったよ。文政4(1821)年に塩竈神社に奉納された絵馬には、頭にエビや船を乗せたりして、仮装をした人々が輪になって盆踊りを楽しんでいる様子が描かれているよ。
永享6(1434)年、流罪にされた世阿弥が伝えたとされる能楽。現在の佐渡に根付くようになったのは、慶長9(1604)年に佐渡代官として来島した大久保長安が能楽師をつれてきたことがきっかけなんだ。長安自身も能楽師の家に生まれているよ。
佐渡には、鉱山の発展によって育まれた
文化や芸能が多く残っています。
今の時代にも残り、受け継がれてきた文化・芸能を
二回に分けてご紹介!
きみはいくつ知っているかな?