夏の日差しが肌に突き刺さる。紙製の面の下からは玉の汗。「ほうらいや~」。親方役の児童が声を上げた。金穿(かなほり)大工役の児童がつちを振り上げた。金銀山の繁栄と金穿作業の安全を願う神事「やわらぎ」が始まる。
佐渡市の相川小学校4年生が地元の歴史や芸能を知る「相川学」の一つとして取り組んでいる。
子どもたちの後ろには山がV字に割れたような「道遊の割戸」が迫る。江戸時代、巨大な鉱脈を掘り進んだ露頭掘り跡。山頂部の割れ目は幅約30㍍、深さ約74㍍もある。
金穿は過酷だった。鉱脈を懸命に掘れば掘るほど石粉や煙を吸い、誰もが短命だった。
坑道の中では今、電動人形がつぶやく。「早く外に出て酒を飲みてえ。なじみの女にも会いてえなあ」
佐渡の金銀山が幕府の財政を支えた江戸時代、「やわらぎ」には金穿大工の祈りが込められた。別名「蓬來(ほうらい)」。ワラで編んだむしろの裃(かみしも)にムカデが張り付くように描かれている。その姿が金鉱脈に似ているとして、信仰対象になっている。
多くの汗と命がしみ込んだ金銀山から鉱山技術の歴史が分かるという。関係者は世界遺産の価値があると訴えてきた。
「やわらぎ」を学ぶ子どもたちは口々に言う。「金銀山が世界遺産になってほしい」。世界的価値がある地域の宝として、未来に伝えるべき地域の誇りとして。
古くから「黄金の島」と
呼ばれてきた佐渡は、
多くの人々を
魅了してきた。
平安時代末期の「今昔物語集」には、能登の人が佐渡に渡り、金を掘った説話が載っている。採掘場所は島の南西部の西三川砂金山と推定されている。
戦国時代には越後の商人が船に乗っていた際、島の西側の山中から夜空を照らす光を見つけ、鶴子銀山の発見につながったという説話もある。そこで銀を掘っていた山師が相川金銀山の鉱脈も発見したと伝えられている。
江戸時代、佐渡島では世界に誇る質と量の金を産出した。山を崩して砂金を採った水路や、いくつもの露頭掘り、坑道掘りの跡と、長大な排水坑道が残る。小判を製造するために精緻な製錬・精錬が行われ、その技術を遺物や絵巻がいまも雄弁に語っている。新潟県や佐渡市によると、それらから伝統的手工業による鉱山技術の歴史的な推移と到達点が分かるという。
そうした世界的にも貴重な遺跡群を残した人々は、多様な生活文化や芸能も島独自に発展させた。珍しい地形や豊かな緑、海と大地の恵みも大切に活用してきた。それらはすべて島の誇りとして島民に受け継がれてきた。
今月11日、国の文化審議会世界文化遺産部会が国連教育科学文化機関(ユネスコ)に世界文化遺産登録を求める国内推薦候補について審議を開始した。本年度の推薦を目指しているのは「佐渡島の金山」のみで、 ライバルはいないとみられる。 11月か12月には結論が出る見通しだ。
これまで4度も選に漏れてきた。しかし、島民や関係者はあきらめない。金銀山には世界遺産の価値があると確信しているからだ。世界に向けて、島の誇りをいつでも示す準備はできている。